なおし家アカデミー|深層筋鍼法×セルフケアを学ぼう

「伊豆高原リトリートハウス」物語

伊豆高原リトリートハウス代表 (角谷夫妻)紹介

角谷敏宜・寿賀子

1996年伊豆高原に、宿泊して統合療法が受けられる施設「身心養生苑」をつくり、約15年間夫婦で運営する。敏宜は、そこで20代からの経験を活かし、鍼以外にも断食や食事指導、温熱療法、内観療法などの療法を提供してきた。
寿賀子は、大学卒業後、東京で12年間特別支援学級の教員として勤める。1998年伊豆へ移住後は子育てをしながら、「身心養生苑」に関わり、全体のサポートや広報活動として冊子の編集などを行う。2011年からは、特別支援学校の講師や特別支援学級の支援員などを10年間務める。2023年、夫婦で「なおし家アカデミー」を創設。
「伊豆高原リトリートハウス」では、鍼灸師の育成の他、以前携わっていた苑をより進化させた形で「自分再生」「家族再生」ができる場として、自分達らしく創造していきたいと思っている。

「伊豆高原リトリートハウス」物語

夫婦、家族のテーマ

私たち夫婦は、出会った時から、「何かをふたりで創造していくだろうから、なんか面白そう(by 寿賀子)」という感じが二人共にありました。
結婚して2023 年で 31 年、仕事、経済、子育てなどで、まさに様々なことを体験してきました。中には辛いこともたくさんありましたが、どれをとっても必然というか、体験したからこそふたりで見られる新しい景色があり、豊かさも味わえることができるのだと今は思えます。
私たち夫婦の、もっと言うと角谷家の家族のテーマは「心とからだの健康」そしてそれと深い関係のある「家族再生」「本当の豊かさ、愛」だと思います。
そう考えると、敏宜も寿賀子もふたりが出会う前から、それらのことに興味を持って生きてきたように思います。

ご縁のあった伊豆高原

私たち家族は、東京から 1999 年に伊豆高原に越してきました。
それまでも、1995 年伊豆高原に「身心養生苑」という施設(モットーは「からだと心を癒すまるごと療法」でした)をつくった関係で、伊豆とはご縁がありました。
身心養生苑も宿泊できる施設で、伊豆在住の苑⻑がおり、内観療法、鍼や温熱療法、断食療法、運動療法といった統合療法を行っていました。
敏宜は伊豆に越したと言っても、平日は東京の鍼灸院を離れることはできず、週末は伊豆に帰ってきてもその苑で働くことが殆どでした。
寿賀子は 3 人目の子どもが幼稚園に行きはじめた頃から、食事や全体のサポートなどそこで働くようになりました。
身心養生苑にはガンや摂食障害といった難病の方が多く来苑されていましたが、特に摂食障害の方は、心の面からのアプローチと断食療法によって改善される方が多く、退苑されても「良くなりました」という報告を受けることは私たちにとっても喜びでした。
そこを退く 2011 年までの約 15 年間、敏宜は東京、本厚木(当時、治療室があった)、伊豆を行き来する生活でまさに忙殺の時代でした。寿賀子も身心養生苑をサポートしながら 3 人の子育てがピークの時代でした。

お互いひとりで頑張りすぎた日々

それから、⻄荻窪の鍼灸院を「身心健康堂」から「なおし家鍼灸院」に変えて独立しましたが、相変わらず敏宜は一日中施術をする忙しい日々。
伊豆の自宅に帰り家族と触れ合えるのは、基本日曜日だけでした。
寿賀子も、3 人の息子たちが小、中、高校生で(みんな野球部で休日もない)その世話をしながら、特別支援学校の講師としてフルタイムで働く生活で、充実しながらも忙しすぎる日々でした。
今振り返ると、ふたり共よくもまあ、あんなにひとりで頑張っていたなあ、と思います。
夫婦ふたりでやるからこそ、真の力が発揮できるし、本当に楽しい!ということがわかった今は、当時の自分達にご苦労さんと言いたいです。

マイナスの出来事と貴重な出会い

でも、マイナスの出来事が起こらなかったら、きっとお互いがあの当時のまま、一人で忙しく共に過ごす時間も殆どないまま、マイナスを表現しない仲良し夫婦のままだったでしょう。
2016 年、経済面で大変な出来事が起こり、翌年は⻑男が心の病を発症するという、私たちが大切に育ててきた「経済」と「子供」という両面で苦しみを味わうことになりました。
経済面では何とか目処が立ち、特に寿賀子が動揺せず「大丈夫だ!」と励ましてくれたおかげで精神的にはずいぶん救われました。(by 敏宜)
⻑男の病気に関しては、数年は苦しい日々が続いたものの、ある出会いのおかげで、病気に対する捉え方が変わり、さらに苦しみを作る心の偏り、心のバランスとは何か、病気の根源、そしてこの世の仕組み、といったことまでふたりで学び体感することができました。
出会いとは、なおし家鍼灸院で「根源セミナー」を行った際の講師である浦鉄平氏との出会いでした。そのセミナーでは、まさに角谷家のテーマをもとに、わかりやすく病気の根源などについて話をしていただき、3 人の息子たちも時折参加することができました。
また、このセミナーを夫婦でつくっていくことは、同じことを目標にふたりで創造することの始まりともなりました。(実は浦講師の計らいでもありました〜)

自分達の経験から伝えていきたいこと

「伊豆高原リトリートハウス」で、私たちがめざしていることのひとつは、「病気の根源を理解し、家庭で病を治していくきっかけづくり」です。この理念は、まさに私達の経験と浦講師のお話の中でふたりの心に響いたことです。
「病気の根源」「家族再生」という大切なキーワードを、私達の体験をもとにお伝えできればと思っています。
また、夫婦、男女ということで言えば、この年になって「ふたりでひとつ」ということを実感する日々です。
単に仲良し夫婦だった過去の私達は、どちらも超プラス思考でマイナスを直視したり表現したりすることができませんでした。マイナスを見ることにそんな意味がないと思っていましたから。
でも自分達の抑圧してきたものが、大切な家族に現れるという仕組み、どんなものでもプラスとマイナスの両面があり、その二極をしっかり俯瞰することの大切さを知ってからは、マイナスをしっかりと見て、感じている心配や不安、恐怖といったマイナスの感情を夫婦の空間で表現するようになり、今はそれが当たり前になりました。
表現するって大事ですね。どちらかが表現したことを自分の隠した気持ちだなとか、受け取り合うことで、お互いが癒され気持ちが軽くなります。
そして、軽い感じで「こうなったらいいねぇ〜」とふたりで意識を合わせたことが、どんどん現実化していくことも体験するようになり、それがとても面白いのです。
ひとりで(片側の自分)で頑張らなくても、ふたり(ふたりでひとつ)で心を合わせて楽しんでいるといろんなことが実現していく、といったこともこれから結婚する若い方やご夫婦の方にお伝えできればなあと思っています。

念願の「畑」と「リトリートハウス」が同時に実現!

ここ数年、寿賀子が家庭菜園をはじめ、自然農法に興味を持ってから、「畑をやりたい」と思うようになりました。それに影響を受けて敏宜も「どこかに畑ないかねぇ〜」とふたりで思い続けていたところ、今年の 2 月、自宅から徒歩 10 分の所でバッチリ思い描いていた通りの場所を見つけることができました。
少し高台なので、海が見える。裏には山。⺠家も少なくて静か。同じ敷地で畑をやっている方たちも親切。まさに理想通りでした!
⻑男の忘れ物を取りに行ったのがきっかけなので(自然の好きな⻑男が先にこの場所を見つけていた)息子よ、ありがとう!
またちょうどその頃、「伊豆で宿泊しながらワークショップをやりたいね」とふたりで話していたのですが、寿賀子が畑の周辺をブラブラ歩いていたら、やたら気になる家が一軒。
近くの方に勇気を出して聞いたところ、持ち主の方が誰かに貸したいと思われていることを知り、「おー、ここだー!」と。
その気になる一軒家が「伊豆高原リトリートハウス」の誕生となったのです。
私たちも 60 代になり、「残りの人生で何をやりたいか」と考えた時、このハウスがとてつもなくいろんな可能性を持っていると思えて仕方ありません。
本当にワクワクします。そしてこの出会いにも感謝です。
このワクワクをこれから来ていただく方々と存分に共有し、来てよかったと喜んでもらえる場にしていきたいと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

(2023 年 7月 16 日 角谷敏宜・寿賀子)

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